人類初の宇宙飛行を成し遂げた国、ロシア連邦。ヨーロッパ大陸最高峰・エルブルース峰は、その国にあります。ユーリイ・ガガーリン飛行士が宇宙から伝えた有名な言葉より、宇宙船ボストーク1号が発射された際に彼がつぶやいた「さあ、行こう!」という言葉が好きです。これから未知の世界に向かう気持ちが、短い交信記録から伝わります。その情景を思い浮かべながら、ヨーロッパ大陸最高峰を旅します。
小屋内には採光程度の小さな窓があり、風景までは見えませんが外の様子までは察しがつきます。朝起きて、その扉を開けると「あ、やっぱりね…」の天気です。
風はなく、音もしません。昨夜少し雪が降っていたこともあり、その新雪による吸音効果で「シーン」という音が聞こえてきそうです。
鉄塔や小屋の金属感と空模様が相まって醸し出される無機質な世界観。晴れていれば素晴らしい眺望なのでしょうが、湿った肌寒さも手伝って癒される雰囲気ではありません。ロシアに思い描いていたイメージは、旅を通して変化していきます。
南を眺めても。
東を眺めても。
西を眺めても、同じような風景が広がっています。変化の乏しい層積雲の空ですが、本日の記録写真としてフィルムを消化させます。
「嵩張り雲」という表現がぴったりです。しかし、登山は天体観測と違って、悪天候でなければ問題なく行動できます。滞在中は、ありがたいことにキッチン小屋で現地のスタッフが食事まで用意していただきました。クッキングガールのタチアナさん、そのお手伝いとして料理学校で勉強されているリィーナさん、そしてピンクのエプロンが似合うビクトリアさんが温かい料理をテーブルまで運んでくれます。
登山中の食事とは思えない豪華なメニューに沈んだ気持ちも明るくなっていきます。いただいているおかずは何なのか、ロシア語のポケット辞書を使いながら伺うと、ロシア語での会話からではなく、料理を指さしたジェスチャーと彼女の表情から“ヒツジのレバーだ”ということが理解できました。上品で繊細な塩味がとにかく美味しい。そのことは、私の表情だけでもタチアナさんに伝わったようで、何やら嬉しそう。やはり食事は、登山をより楽しむためにも、とても大切なことなのだと実感します。
食事を終えて外を見渡すと、嵩張り雲と感じていた曇り空が美しい白い空に見えてくるから不思議です。何事も気持ち次第なのでしょうか。
本日は高所順応日。標高4,200mの旧11番小屋まで往復します(標高差は500m程度)。スキー場のコースを登るルートなので、見通しが良ければ全く問題ありませんが、視界が悪くなると目標物を見失うため気をつけなければなりません。
単調なルートなので、途中1回休憩しただけで旧11番小屋に到着。中に入ると、7~8名ほどの女性ばかりの登山グループが休憩していました。ここで休憩はできないなと2階へ上がると、そこには一人の男性が座っています。その雰囲気から、ここでも休憩はできないと思い、小屋の外に出てリュックサックに詰め込んでいた甘いケーキとビスケットをいただきました。久しぶりの標高4,200m。この独特の空気を味わえる標高に戻ってきたのだと嬉しくなり、必要以上に深呼吸を繰り返してしまいます。
下山時に視界が悪くなったため、トレースが消えても戻れるよう、変化の乏しい地形を振り返り目に焼きつけながら登っていきます。ホワイトアウトになると、無意識に低い方向に進んでしまい、ルートから外れてクレバスの方向に向かってしまうと教えられていたため、眺望という感じではなく、地形の丸暗記という作業を繰り返します。
下山時には雪が降り始め、風も強く吹き始めました。案の定、登りのトレースは消え去ってホワイトアウトになりましたが、滑落の危険性はない場所なので安心です。
ガラバシ小屋が見えた頃には、雪から雨に変わりました。夕食は、タチアナさんの手作りハンバーグとマカロニスープ、コーン、マッシュルームにマグロのフレークという豪華メニューです。
夕食を終え、外に出て夜空を見上げましたが、今晩もあいにくの曇り空。ロシアの登山者と一緒に星空観望会を楽しもうと日本から持参した小型天体望遠鏡は本日もお休み。天候の回復は期待できないため、安心して午後9時に就寝です。
※2002年9月にフィールドに訪れた際の記事となります。