世界中を旅するTRANSITが、毎号karrimorのアイテムとともに旅した裏話を公開。スペイン統治時代から残る風景で旅人を引きつけて止まないハバナから、アフロ・キューバンの踊りを求めてキューバ第二の都市サンティアゴ・デ・クーバまでキューバを横断した2週間。
旅の始まりとなるハバナの夜明け
ハバナの住宅地が広がるセントロ・ハバナ地区のカサ・パルティクラル(キューバ旅では一般的な民宿)で朝を迎える。 20階建て集合住宅の高層階にある一室だ。窓からの眺めは何も遮るものがなく、とにかく見通しがよい。ハバナのなかではかなりの高さを誇る住宅だが、社会主義国のキューバでは、高層住宅だからといって、特別裕福な人が住むというわけではないらしく、このカサ・パルティクラルには2LDKでおばあさんが1人で暮らしていた。
国立民俗舞踊団の舞
ハバナの新市街・ベダード地区にある国立民俗舞踊団のステージ。毎週土曜日の15時から伝統舞踊のショーが開催され、観光客だけでなくキューバ人も集まり見学している。踊られるのはキューバの民間信仰・サンテリアの神々に捧げる舞踊をショーアップしたもの。サンテリアの神はそれぞれシンボルカラーを持っており、黄色はオチュンという女神の色だ。踊りの他に、歌手による歌の披露などもあり、終始賑やかな雰囲気。
クラシックカーが生きる社会
社会主義革命を達成したキューバに対し、1961年からアメリカは国交を断絶。そのあおりをうけて、新しい車がほとんど入らなくなったので、街中には多くのクラシックカーが現役で走っている。タクシーもほとんどがこういった車だ。街中には、同じ方面への乗客で車が埋まったら発車するシステムの乗り合いタクシーのターミナルが存在する。地元の人が乗る足として利用されているが、スペイン語を話せたり、土地勘があったりすれば旅行者でも乗れ、30分乗って50円ほどと格安で移動できる。
革命はじまりの地「モンカダ兵営」
ハバナから東へ約860km、キューバ第二の都市サンティアゴ・デ・クーバに入る。サンティアゴ・デ・クーバはキューバ革命の象徴的な地で、ここ「モンカダ兵営」は64年前に革命の火蓋が切って落とされた場所だ。現在は革命の資料を多く展示する博物館になっている。建物の中央部にかかげられた「26」は革命記念日の数字で、毎年革命記念日である7月26日には、建物の前で盛大なセレモニーがおこなわれるそう。
キューバ音楽に欠かせない太鼓
キューバ人にとって欠かせない楽器が太鼓だ。サンテリアの儀式やアフロ・キューバンのダンス、サルサなどで必ず使われ、単なる楽器という枠を超え、生活に欠かせないものとなっている。サンティアゴ・デ・クーバの街を歩いていると、聞こえてきた太鼓の音が気になって覗いてみると、そこはパーカッショニストの家だった。太鼓を演奏してくれたレニ君は日々おじいさんに鍛えられ、3歳ながら驚くほどの腕前だ。
キューバの不思議なテーマパーク
サンティアゴ・デ・クーバから車で1時間ほどの距離に、奇妙な場所があると聞いて足を延ばす。先史時代の人類や動物を石で再現したテーマパーク「バジェ・デ・ラ・プレイストリア」だ。広大な草原に実物大の石像が点在していて、歩いて自由に回る。歴史を学ぶために作られたとも言われるが、恐竜と人間が共存していたりと不思議な世界になっている。お客さんは非常に少なかったため、別世界へタイムスリップしてしまったかのような感覚に陥った。
いたるところで行列する人びと
キューバでは、両替やお金を降ろすために銀行にはよく行列が延びている。銀行だけでなくバスに並んだり、配給所に並んだりと、キューバの人びとはよく行列する。皆焦れることなくのんびりと順番を待っている。このあたりにキューバ人の気質が現れているようだ。奥に続くのはサンティアゴ・デ・クーバの目抜き通りホセ・ア・サコ通り。サンティアゴ・デ・クーバ随一の繁華街で約1kmに渡ってカフェやレストラン、洋服屋、映画館などが建ち並ぶ歩行者天国だ。この通りで食べたチュロスは絶品だった。
陽気で気さくなダンサーたち
キューバを代表する名門舞踊団「クトゥンバ」でレッスンの様子を取材。伝統舞踊に加え、コンテンポラリー・ダンスやヒップホップを練習する風景を見ることができた。踊ること自体が楽しくて仕方がないという様子で、全身から溢れるような美しいダンスに感銘を受ける。取材後、活動拠点の建物前に、ダンサーやシンガー、打楽器奏者が勢揃いしてくれた。舞踊団のメンバーは陽気で、みんなの弾けるような笑顔が印象的。
サンティアゴ・デ・クーバの街並み
サンティアゴ・デ・クーバはキューバ第二の都市とはいっても、高い建物はほとんどなく、住宅街も地方都市といった趣。人が少なくのどかな雰囲気。住宅の前に置いてあるのは、タクシー兼自家用車。キューバでは車は家の前に路上駐車したり、駐車場があっても青空駐車だったりと、屋根付きの駐車場は少ない。そのため、キューバでは頻繁に車の塗装を塗り直している。一見きれいな車も、メンテナンスを繰り返し、中身はそっくり別物という車も多いという。
生活を支える配給所
ハバナへの帰り道にサンティアゴ・デ・クーバから北へ約150kmの場所にあるオルギンに立ち寄った。ここはキューバのなかでもスペイン系の人びとが多く集まる街として知られ、どこか落ち着いた雰囲気が漂う。写真は配給所で食料品を購入する人びと。配給といっても無料ではなくて、激安で購入できるスーパーのようなもの。一人ひとりに配給手帳が配られて、月ごとに決められた量までを購入できる仕組みだ。配給量だけでは足りないこともあり、足りない分を人びとは国営や民間の市場で購入している。
アニメ好きな今時の若者
街中で出会った若者。25歳のアレックスは日本語の勉強をしていて、将来は日本に来たいと言っていた。日本のアニメが大好きで、さまざまなタイトルを挙げて、興奮気味に話してくれた。日本のアニメは誰かがネットでダウンロードしたものを共有したり、ときおりテレビで放送される番組を見たりしているそうだ。情報は自由に得られるのかと思いきや、テレビ番組は管理され、インターネットもごく限られた世帯で実験的に引き始められたばかりで、まだその環境は厳しいという。
憩いの通りマレコン通り
ハバナに戻り、海岸線に広がるマレコン通りへ。ここは夕暮れ時になるとキューバの人びとが集まる定番スポットだ。恋人と海風を受けたり、ひとり堤防に腰掛けて黄昏れたりと思い思いに一日の終わりの時間を過ごしている。ハバナは冬でも日中は25度くらいあり、夏ともなると湿度も加わり非常に暑い。ハバナの北側に位置するこの場所には心地よい風が吹き、美しい夕暮れが見られるため人びとが集まってくるのだ。波の音と誰かが歌う歌声も風に乗って運ばれてきて、心地よい旅の終わりの時間を過ごした。
karrimorとキューバを旅して
TRANSIT 編集部
TRANSIT39号で、取材クルーはカリブ海に浮かぶ島国・キューバへ。社会主義国としてどこかヴェールにつつまれてきた孤高の島で、首都ハバナやサンティアゴ・デ・クーバをはじめ、ビーチリゾートや観光客のいないような小さな町まで、照りつける陽射しと青空の下、キューバのさまざまな「今」を取材した。アメリカとの国交回復により、岐路にたつキューバの現在・過去・未来を深掘りして総力特集。