はじめまして。新しくカリマーのアンバサダーに就任した国際山岳ガイドの今井晋です。今回は1本目の記事ということで、簡単に自己紹介をしたいと思います。
私は普段、北海道の小樽を拠点にガイド活動をしています。夏は、欧米・日本でアルパインクライミングや登山、冬は北海道を中心に山スキー・アイスクライミング。1年を通して山と共にいます。

物心つく頃から、自宅の裏山で走り回っていました。木の上に基地を作ったり、クワガタを獲ったり、野生の山芋を掘ったりとよく山で遊んでいましたね。友人の家に行くときも、山を抜けるのが近道であれば、月明かりだけで真っ暗な中でも走り抜けていました。
私にとっては、(里山ですが)山は特別なところではなく、生活の一部でした。ただその頃でも、野良犬が群れをなしているなど危険な場所があったので、山に入るときはいつも用心深くしていた気がします。

本格的な登山は小学校の頃です。夏休みを利用して、父親・兄と穂高岳に登山に行きました。私の父親は、槍ヶ岳を(登るのではなくて)周辺の山から眺めるのが好きな登山者でした。そのときに、台風がやってくるからと食べることを切り詰めて食料をつなぎ、テントに侵入してきた雨水をカップで必死にかき出したことを覚えています。
その台風が去った後、奥穂高岳山頂で見た人生初のご来光は、何とも言えない美しさで、今でも鮮明に心に残っています。あのご来光を見た瞬間が、私の本格的な登山の原点なのだろうと思います。

山岳ガイドを志したのは、単純に山が好きで、スキーやクライミングが得意でかっこよかったからでしょうね。何より「山にいること」が好きで落ち着く。
そんな私にとって、ガイドしたお客様から「感謝」までされることは本当にいい仕事で嬉しかった。でも、今はちょっと違ってきていて、お客さんの「笑顔」見ることが一番嬉しいですね。これは私の天職だと思っています。

ここ数年の冬の仕事は、北海道で欧米の方々を相手にした山スキーのガイドをメインにしています。「よくやるねー」とか「大変だね?」とよく言われます。たしかに大変です。日本の登山におけるルールやマナーから、複雑な山の地形・気象条件からくる危険な要因まで、できる限り伝えてあげないといけないですからね。でも最近は、各国の国民性が少しずつ分かってきたので、相手の国籍によって説明方法や対応変えたりするようにしています。

山スキーでのガイドの仕事を通して、日本が世界に誇る雪景色、豊かな自然、日本特有の文化と価値観なども一緒に紹介するようにしています。完璧に上手くお伝えすることはなかなか難しいですが、日本や北海道の素晴らしさを紹介していると、彼らも「日本」という未知の国に対して親近感を感じてくれ、自然と楽しい時間を共有する仲間になっていきます。
ガイドとお客様という立場に変わりはないのですが、そこに「仲間」というお互いをリスペクトしあう意識が生まれるのです。おかげさまで、本当にいいお客様に恵まれており、充実した仕事ができるようになりました。

カリマーのアンバサダーのお話をいただいてから、引き受けようと決心したのは、〈epic insulation parka〉に袖を通したときでした。厳しい山岳の気象条件に耐えられるだけのスペック、クライマーの動きに合わせたフィット感、そしてファスナーなどの細部にまで、日本人らしい工夫と斬新さを取り入れているところにこだわりを感じました。「これを着ていれば大丈夫」だと思えるような、安心感と信頼感のあるものをつくっていこうとする意識が伝わってきます。
個人的な感想ですが、山道具のなかにはそれぞれのメーカーに「名品」と呼ばれるものがいくつかあると思っています。〈epic insulation parka〉は、冬のシーズンを通して着用してみて、それに値するものでした。これから先もそういう名品をひとつでも多く、カリマーが世に出してくれることに期待しています。
この先また頼もしいウエアーと山に行ける日を心待ちにして、モチベーションを保っていきましょう。