数々の海外の山を旅するなかで、いつも私の強い興味をさそうのが、過酷な山岳地帯で生活をする人々です。日本や欧米の大きな山脈のほとんどは国立公園として自然保護されているため、山の上で人の暮らしを垣間見ることはめったにありませんが、ヒマラヤ山脈や中央アジアの山脈へ行くと、信じられないような土地に人々が集落を築いて暮らしています。

時には標高4000mを越える場所や、未舗装の道を何十キロも行かなければいけない場所、また雪で何ヶ月もの間隔離されてしまう場所など、その厳しい気候と環境のなかで生き続ける人々の生活には多くの知恵とたくましさがあります。しかし、旅人である私たちが一定の場所で長期間滞在する機会はなかなかなく、彼らがどのようにして年月を過ごしているかは、ただただ想像を膨らますのみでした。

いつか、下界とは空気の違う、酸素の薄い山の上でじっくり季節の移り変わりを感じてみたい。そう兼ねてから感じていた思いを叶える仕事が、今年の夏見つかりました。それは、長野県と山梨県に跨る南アルプスの山小屋でのお仕事です。

私が7月から10月までの3ヶ月間働くことになったのは、南アルプスの女王とも呼ばれる仙丈ヶ岳の麓にある仙丈小屋です。仙丈小屋は標高2890mに位置しているため、真夏でも最高気温は20度と過ごしやすく、晴れた日には小屋から新潟の妙高連山まで見渡すことができます。また歩いて10分の稜線からは、北岳や富士山のダイナミックな姿も眺めることができる素晴らしい場所にあります。

山小屋でのおおかたの仕事は、小屋に宿泊する方と売店を利用する方の接客や食事の準備で、たまに忙しくて小屋内に籠り切っていると、自分が山の環境にいることを忘れる瞬間があります。ですがふと一息ついたとき、常に移り変わる表情豊かな景色がいつでも窓の外に広がっているのは、とても贅沢なことだと感じます。

また、山小屋で仕事をする楽しみの一つといえば、休憩時間の山散歩です。とはいっても山の天気は変化しやすく、散歩にいこうとした途端にガスが上がってくることや強風の日も多いので、貴重な快晴の日はスタッフが入れ替わりで散歩へ出かけます。仙丈小屋からの散歩ルートは、仙丈ヶ岳頂上経由のループや大仙丈ヶ岳までピストンするルート、そして小仙丈ヶ岳へ向かうルートや馬の背ヒュッテと丹渓新道方面へ向かうルートなど、本当に様々あります。「今日はどこへ行こうかなぁ」とその日の気分に合わせて散歩ルートを選べるのも、このロケーションならではです。


雪渓がなくなると高山植物の花が咲き、そのあと新緑で青々としていた山がカラフルに色づき始め、徐々に冬山の様相になっていく一連の流れを身近に感じられたのは、毎日山小屋で生活してみたからこその経験でした。

日本の高山には冒頭に述べたような人の生活は存在しませんが、豊富な植物とともに高山ならではの生き物たちが息づいていることを忘れてはいけません。日本ではアルプスの一部にしか生息していない特別天然記念物のライチョウが、日々当たり前のように小屋の周りをうろついています。6月に小屋入りした頃はまだぴよぴよと鳴くヒナだった子供たちが、10月には親鳥と見分けがつかないほど大きく成長していく姿には感動しました。

仙丈ヶ岳は、日帰りでも十分登れる3000m級の山です。しかし、山小屋に泊まった人だけが見られる景色というものがあり、その景色に運良く出会えた方は皆んなとても満足して下山していきます。朝4時に起きる甲斐がある幻想的なご来光の美しさはもちろんのこと、私は夕暮れの北側の山全体がオレンジに輝く一瞬の時間帯が一番のお気に入りでした。

そんな完璧な夕焼けを見れた日は実際片手で数えられるほどしかなく、夕食を出しを終えて「今日の夕焼けはすごいぞ!」と察知したら、スタッフ総出で日の入りが見えるスポットへエプロンのまま駆け上ることが何度かありました。標高の高さに体が順応しているとはいっても、駆け足で上り坂を登るとすぐに息が切れ、酸素の薄さを実感します。

3ヶ月間の仙丈小屋滞在中には、悪天候が続く日々や猛烈な嵐の日もありましたが、予期できない息を飲むような光景にもたくさん出会いました。日常とはかけ離れた豊かな自然のなか、一定の場所である程度の期間を過ごすことは、私の心を穏やかな状態に保ち、たくさんの気づきを与えてくれました。次は雪で白く染まった冬山を体感したいなぁと思いつつ、南アルプスと小屋で出会った皆さんに感謝を伝えたいです。