「自然」というと、皆さんは何を想像するでしょうか?長い間、私にとっての「自然」というのは、美しい山、川、海といった自然物や都会の真ん中にある緑溢れる公園や、人の手に負えない天気や地震のようなものでした。
しかし6年前のある日、自転車でアフリカを旅をしていたときに、その感覚が大きく変わった瞬間がありました。衣類の原料となる綿を山盛りに積んだトラックが私たちの横を行き交い、その場の赤土でレンガを作って家を建てている現地の人々と出会う中で、自分の身に着けているものから目に見える身の回りのものすべてが「自然」から出来ていることに気が付いたのです。

それはごく当たり前のことのようですが、今までそれを自然からできたものだとはっきり意識できなかったのは、そのものの原料となっている鉱物や動植物が想像つかないほど形を変えてしまっていたり、生産過程が複雑化して把握できずにいたからでしょう。
過去の自分の感覚が自然から遠く離れていたにもかかわらず、いかに自然に生かされていたんだろうと申し訳ないような恥ずかしい気持ちになったのをよく覚えています。

それ以来、もし今後自分たちの拠点を作るならば、自分たちの手で自然のありがたみや存在をしっかり体感しながら暮らせる場所を作っていきたいという気持ちが芽生えました。
それからというもの、新型コロナウイルスの状況からしばらくは海外への旅は難しいだろうと判断したタイミングで、あらゆる構想を重ね、ついにこの新たなアイデアを実現させる時がやってきました。

私たちが手に入れたのは、水もガスも電気も通っていない広大な森でした。建物も何もないこの土地を選んだ理由は、湧き水やある程度の平坦地があり、南向きで自然林が大半を占めていること。そして何より、生き物の活動がとても活発だったことです。初めてこの森を訪れた際には、静寂の中で鳴り響くバラエティー豊かな虫や鳥の音にすっかり惚れ込んだほどでした。

地面が笹藪と草木で覆われている分、開拓を始めてしばらくは足を踏み入れられるところがほとんどなく、夜はフクロウとイノシシとカエルの大合唱という、完全に私たちが彼らの土地にお邪魔している状態。少しずつ開拓を進めるにつれて、先人の形跡が見えてきました。

斜面だと思っていた場所は、昔棚田だった広い平坦地だったり、短いと思っていた小道がずっと森の奥まで続いていたり、山の頂上付近に立派な石垣があったりと、森の中から新たな発見に出会う毎日です。自転車で旅しているときも感じたことですが、人間の形跡がまったくない状態の手付かずの土地というのは、世界中どこを探しても、本当にごくわずかなのだと思います。私たちが行っている作業は、ゼロからの開拓ではなく、先人が人力のみで作り上げてくれた形跡を再生する作業なのでしょう。

私たちは今、この土地にテントを張って、そこで生活をしながら森を切り拓いています。インフラが整っていなかった当初は少し不憫に感じたものの、ソーラーパネルで電気を賄い、ロケットストーブ式シャワーで体を洗い、コンポストトイレで用を足せるようになってからは、とても快適に暮らしています。

テント暮らしから始めて良かったなと思うのは、やはり野外と屋内の距離の近さです。動物が周辺にいればすぐにわかりますし、基本的に何をするにも外へ出なければいけない。面倒といえば面倒ではありますが、その分野外で過ごす時間が必然的に長くなるため、自然の変化に敏感になっていきます。毎晩月の満ち欠けを眺めることで、時の流れを感じられたり、気温の変化ともみじの色づきの結びつきを、これほどまでじっくりと観察したことはありませんでした。

アウトドアは、非日常的な場所やシチュエーションの中だけで成り立つものではなく、もっと身近な暮らしに取り込んでいく必要があるものだと私は思っています。そうすることで「どういった生き方をしていきたいか」という選択肢が広がり、生活の豊かさに繋がるのではないかと考えます。
この森は、そういった日々の暮らしの実験の場として、今後様々な活動をしていく予定です。カリマーを通じて、ぜひ私たちの新たな試みを楽しんでいただけたらと思います。