南アフリカを出発してから丸一年。非日常だった旅の暮らしもすっかり板につき、それが私たちにとっての“日常”となり出したこの時期。ついに、ヨーロッパ大陸へ足を踏み入れる時がやって来ました。目的地であるイギリスまではまだ幾つもの国を越える必要がありますが、新たなチャプターが始まるドキドキ感を胸に、草原以外何もない国境へと続く一本道を疾走しました。

ヨーロッパ、記念すべき第1カ国目は、ブルガリア。東欧や東南ヨーロッパとして分類されるブルガリア一帯の地域は、個人的に国々の特性や雰囲気からして“バルカン”と総称するのがしっくりくるように感じます。というのも、バルカンの大部分の国はかつてユーゴスラビアというひとつの国だったこともあり、文化や歴史的関わりがとても深く、また争いの絶えなかった地域でもあります。
今回、ヨーロッパのなかでもバルカンを旅するのを楽しみにしていた理由のひとつが、バルカンの国々はシェンゲン協定(ヨーロッパ諸国間で出入国審査なしに自由に国境を越えることを認める協定)に加盟していないことでした。シェンゲン加盟国内(多くのEUの国が加盟している)では、外国人は90日間の滞在しか認められていないので自転車移動の私たちにとってかなり厳しい条件なのです。

「時間に囚われず、気の向くままに」がモットーの旅。バルカンを思う存分満喫するほかありません。ブルガリア入国1日目は、友人の友人が首都のソフィア郊外の一軒家に住んでるから泊めてもらうといいよと紹介を受け、その男性の家へ向かうと、「少し出かけてるから待っててね」と書かれた紙がドアに貼ってありました。それから10分ほどして、抱えきれないほどのビールを抱えて戻ってきた初対面の彼は私たちを見るなり、「Welcome to Bulgaria!!」と言いました。

ブルガリアの前に2ヶ月滞在したイスラム国家のトルコで、アルコールに出くわすことはめったにありません。そのため、目の前に並んだたくさんのビールが何とも新鮮な光景に映ったのを今でもよく覚えています。
彼の小さな平屋はシンプルなとても素敵な家で、全面ガラスの窓の外には芝の敷かれた広い庭をどこからでも見ることができました。夜になり真っ暗な庭へ出てみると、草の中に小さな黒い物体が。ライトで照らしてみると、それは私たちから身を隠すように目をつむって縮こまった、何とも愛らしいハリネズミでした。

ビールが進むとともに彼との会話にも花が咲きます。トルコ国境からそのまま彼の家に直行したため、まだブルガリアの紙幣を手に入れてなかったのですが、彼の持っていた紙幣を見てびっくり。なんて繊細でアーティスティックな紙幣なんでしょう! これまで数々のお金を見てきた中で、日本まで持って帰りたいと思ったお金はこれが初めてです。

彼の気さくなキャラクターと居心地のいい家に思わず長居してしまいそうでしたが、この先の景色が見たいという意欲もあり、翌朝出勤する彼と共に首都のソフィアへ向けて出発しました。
彼の家の周辺は、住宅街と工場が入り混じるどこにでもある郊外の街でしたが、15分も自転車を漕ぐと少しずつ都会化していき、気がつけば首都ソフィアのど真ん中へ。バロックやルネサンスの建築がずらっと立ち並ぶその雰囲気は、まさにヨーロッパ! なんだか故郷へ戻ってきたような感慨深い思いが込み上げてきました。

しかし、ソフィア中心部は煌びやかに栄えているものの街自体はこじんまりとしていて、一歩都心を離れると公園というより森と言った方がいいような巨大公園や、無機質に立ち並んだ古びた高層アパートがたくさん見受けられました。

そのかつて感じたことがない独特の空気感は、これからバルカンを旅するにつれ、その理由が少しずつ明らかになっていきます。
この日のテント泊は、ふかふかの落ち葉が敷き詰められた道路脇の森です。人の気配がほとんどない道なので、容易くいいスポットが見つかりました。しかし、人が少ないということは、他の生き物が多いということ。この夜はテントの周りを小動物がひっきりなしに駆け回り、訪問者の多い夜となりました。

残念ながら高山のあるピリン国立公園を訪れるには季節的にまだ早かったので、寄り道をせず真っ直ぐ横断したブルガリア。またもう少しゆっくりと時間をかけて探索したい国のひとつです。

ブルガリア最終日は、国境手前の民家に住むおじいさんの家の庭にテントを張らせてもらい、燃えるような夕日を眺めて幕を閉じました。ブルガリアとはしばしお別れですが、バルカンの旅はまだ始まったばかりです。