巨大なコンゴ民主共和国とタンザニアに挟まれた小さな国、ルワンダ共和国。その面積は長野県の2倍ほどしかないにもかかわらず、とても特殊な地形と歴史と文化が根付いている国です。ルワンダでは数々の学びと驚きがありましたが、まず最初に驚いたのが、タンザニアとの国境でした。ルワンダ中の水が流れ込む自然的国境のカゲラ川には一本の橋が架けられており、橋の上からは凄まじい水量のルスモ滝を眺めることができます。

大迫力の滝がお出迎えしてくれたあと、クロスに交わる風変わりな交差点の道を進むと、気づけばそれまで左側通行だった道路が右側通行へ変わっていました。ルワンダはかつてベルギーの植民地下だったため、南東部アフリカとは違って右側通行の国です。
慣れない右側通行を新鮮に感じながら、税関へ向かうとさらにびっくり。これまで東アフリカのパスポートチェックは簡素な小屋でほぼ手作業で行われていたのに対し、ルスモの税関は実に立派で広々とした建物の中でシステマチックに手続きが行われていたのです。出だしからしてこんなに違うルワンダに、私たちの期待は高まっていきました。

ルワンダは別名で「千の丘の国」というだけあって、本当にカーブと登りくだりの道で成り立っています。平坦で直線の道は100mさえ続くことなく、決して体力的に楽な道のりではありませんが、その分変化に富んだ景色に出会うことができます。

ここまでの半年間、レインウェアを活用する機会が数回しかなかったアフリカの旅でしたが、10月も半ばに入り、ようやく小雨季のシーズンに差しかかっていました。もちろん雨の予報を気にかけなければならないのは厄介なことでしたが、朝方や夕暮れの霧がかった神秘的な丘陵風景を見ると、雨季もそれほど悪くないかなと思わせてくれます。

さて、皆さんは「ルワンダ」と聞いて、なにを真っ先に思い浮かべるでしょうか? ルワンダを訪れた当時の私と同じように、ジェノサイド(虐殺)を思い浮かべる人は少なくないはずです。25年前に起きたあの残酷な出来事から、ルワンダの人々はどう前に進み、今でも深い傷を負っているのか。また、現在はどのような日々を暮らしているのか。そういった他の国を旅するのとは少し違った視点を持ちながら、ルワンダの旅はスタートしました。

自転車を漕いで1週間後に到着した首都のキガリは予想以上に発展した都市で、洗練された街並みには花や樹木が植えられ、道脇には目立ったゴミさえ見つからないほどでした。この行き届いた整備はキガリに限らず小さな村でも同じで、花壇に花が植えられていたり、清掃員がゴミを拾っている光景をよく見かけました。
これは日本や欧米ではごく普通のことですが、アフリカ諸国ではめったに見ることのない光景です。公共の場所が綺麗なことは素晴らしいことではありますが、わらの屋根の家が立ち並ぶアフリカの田舎らしさが急になくなったことから、少し人工的に作られたような奇妙さを感じたのを覚えています。

人口の約7分の1(ツチ族の70%)がおよそ100日間で虐殺されるという想像しがたい凄惨な虐殺から数年後、新しい大統領が掲げた「清潔で、健康的で、豊かな国」のビジョンは、確実に新しいルワンダを形成しつつありました。その代表的な政策として、使い捨てプラスチックの製造、輸入、使用を禁止する法律があります。実際にも、国境ではプラスチック袋を持っていないかの持ち物検査があり、本当にどんな小さなお店でも紙袋のみを使用していて、その徹底ぶりに驚かされました。

これだけ国民全体が環境保全活動に前向きだなんて、今のルワンダを見習わなければいけないなと関心していたのですが、後に出会った男性の話から、ルワンダの内情をもう少し知ることになりました。
「月に1度、地域住民が集って清掃活動する日が決められているんだけど、もし参加しなかったら多額の罰金か刑務所行きだから皆んな必ず清掃するんだよ。プラスチック袋の使用も同じように罰せられるね」と聞き、ルワンダの人は意思的に環境保全活動を行っているというよりも、半強制的に行っていたことが分かりました。整備されたキガリの街並みを見て感じた違和感は、ここから来ていたのかもしれません。

ルワンダでは大半の人が英語を話せないため、踏み入ったコミュニケーションを取ることはほとんどできませんでしたが、彼らがシャイでとても穏やかな気質なのはよく伝わってきました。そのため余計に、どちら側の民族にせよ、彼らがジェノサイドの時代を生き抜いてきた人だということがどうしても信じられませんでした。

表面的なルワンダは「アフリカのシンガポール」と呼ばれるほどにまで生まれ変わりましたが、虐殺に加担した人、被害を受けた人の心の闇は決して目には映りません。しかし、このジェノサイドがただただ残忍なフツ族の手によって引き起こされたのではなく、プロパガンダや植民地時代の歴史が複雑に絡み合っていることを知り、より理解を深めることが、本当の意味でのルワンダの未来の鍵を握っているように思いました。