タンザニアの首都ダルエスサラームからフェリーで約3時間。インド洋に浮かぶザンジバル島は、エメラルドグリーンの海とサンゴ礁で囲まれた美しい島として知られ、多くの観光客で賑わうことで有名です。自転車の旅をスタートして半年が過ぎ、旅の疲れを癒すバカンスもたまにはいいだろうと考えた私たちは、自転車をフェリーに乗せ、2週間ほどのザンジバル島の旅へと出発しました。

まずザンジバル島の船着場に到着して驚いたのは、ザンジバル島がタンザニア連合共和国に属しているにもかかわらず、まるで独立国家のように税関でパスポートにザンジバル独自のスタンプを押してもらい、入国カードを記入しなければならないことでした。しかし街を歩き出してしばらくすると、その理由にも自然と納得がいきます。町の建造物、食文化、宗教などのあらゆるものが、タンザニア本土と大きく異なるのが一目瞭然だったのです。

私がここに来て初めて知ったザンジバル島の歴史は、とても複雑なものでした。もともとモンスーンの風の影響を利用して貿易が始まったのは紀元前10世紀頃まで遡ると言われ、8世紀以降にはアラブ商人たちによる大規模なインド洋貿易が盛んになりました。そして15世紀の大航海時代にはポルトガルに征服され、その約330年後にはオマーン帝国の占領によって現在の旧市街地であるストーンタウンが建設されました。オマーン帝国の王の死後、ついにザンジバル独自の王国が建国されるも、しばらくすると次はイギリスへと支配者が代わっていきました。


この一言では語れない特異な歴史的背景により、アラブとヨーロッパの文化が入り混じったストーンタウンは町全体が世界遺産となっており、一度迷い込んだら出られないような細い路地に連なる3階建て以上の石造建築物が、なんとも言えない特有の雰囲気を醸し出しています。


そしてストーンタウンの街並みで一際目を引くのが、彫刻を施した玄関の木製ドアです。ドアは100年以上の年季の入ったものから真新しいものまで色々で、アフリカらしからぬ装飾が「ザンジバルドア」の特徴です。人々はドアの大きさや豪華さによってその家に住む人の富やステイタスを表していたと言われ、その伝統技術は今でも受け継がれています。

かつてザンジバルでは、アフリカから象牙や金を輸出し、東西交易の重要な中継地点となって栄えましたが、輸送手段と貿易方法が多様化した今、海外からの商人がザンジバルの市場で交渉を行っている光景など見かけることはもちろんありません。けれども、東アフリカの市場ではめったに見かけない香辛料や、中東からやってきたデーツなどのドライフルーツが山盛りに売られているのを見ると、ここが今でも文化と文化の間であるのを感じることができます。

現在、旧市街地のストーンタウンは世界中からの観光客で賑わい、諸外国によって長く占領されてきた歴史を知らずに町を眺めると、ただただ美しい歴史的景観の町のように見えます。しかし、ここで150年前まで行われていた貿易のひとつとして、決して忘れてはならないのが奴隷貿易です。ストーンタウンには、アラブ商人によって東アフリカ全域から集めれたアフリカ人を売買するための奴隷市場の一部が、今もそのまま残されています。モニュメントの奴隷の像には、当時実際に使われていたという金属製の首輪が付けられており、そのずっしりとした重みが無惨な歴史を物語っていました。

ある日、ストーンタウンの路地を歩いていると、落花生売りのお兄さんが地元の子供が道脇で遊んでいるのを見つけるなり、売り物の落花生を子供にあげているのを見かけました。それは日常のなんでもない光景でしたが、とても微笑ましく思ったのをよく覚えています。ストーンタウンがどのような歴史を経て、現在のような穏やかな美しい町となり、世界遺産となったのか。その過程を知ることが、ストーンタウンを訪れた本当の意味のような気がしました。