〈※本記事は、2015年4月にフィールドに訪れた際のアーカイブレポートになります〉
「世界最高峰」この言葉は様々なシーンで表現されますが、伝統のある物語を感じさせてくれます。地球上で最も宇宙に近い世界最高峰から見上げた空、見下ろした地平線はどんな光景でしょう。ローツェ峰から眺めた世界最高峰は、どんな山容なのでしょうか。想像が山のように膨らんでゆきます。

今日もいい天気。静穏、気象庁風力階級0。ここが湖畔でしたら、湖面は鏡のように滑らかでしょう。標高5,000mを超えた場所とは思えないほど安らげる場所。そして、圧巻な風景から東西南北360度どの方向を眺めても癒される場所です。強烈な紫外線とその雪面からの照り返しの熱で衣服が焼けるようです。低温なのに、暑く感じてしまう独特の環境に包まれていると、2年ぶりにヒマラヤ峰遠征へ戻って来れたことを改めて実感します。

ヌプツェ峰 Nuptse(7,861m)をはじめとする、7,000m級の峰々が東西に連なっています。ヌプツェの意味は、ヌプ(西)ツェ(峰)、エベレストの西峰から名付けられています。今はこの場所からその頂を見上げますが、エベレスト峰の山頂では地球上全ての峰が眼下となります。

夕食まで、昇り雲を眺めて過ごします。昼間、あれほど穏やかだった場所が強風で荒れています。その標高に順応させるため、高所では登山中でなくても水分補給は大切なこと。キャンプ地では、温かいカップで指先を暖めながらのティータイムが就寝まで続きます。

キャンプ地の緯度・経度・標高から、正確な日没時刻は計算出来ますが、標高7,000m級の峰に囲まれているため、地平線の見えないキャンプ地では全く意味がありません。夜になるまでの夕間暮れ、刻々と変化する空色を見上げます。このような時間帯を、英語ではマジックアワー、マジックタイムと呼んでいるようですが、日本語での黄昏、夕さリ、夕まし、薄暮、暮れ泥む、入相など美しい表現が好きです。登山後の心地よい疲れから、今日は入相(いりあい)の言葉がしっくりします。金色に輝く宵の明星が、夜空の始まりを知らせてくれます。

その空のシルエットで墨のように見える山を夕山(ゆうやま)と呼びます。空が澄み切った高所の夜空だからでしょう、薄明が残っている時間帯ですが待ち切れない星々が輝き始めます。せっかちなオリオン座、おおいぬ座が夕山を駆けています。

天体観測者にとってベースキャンプ(BC)は、最高の天体観測地です。ハイキャンプには重装備過ぎて、天体観測機材や撮影機材を運び上げることが出来ません。天体観測屋が満天の星の下、ゆっくり寝ている場合ではありません。就寝中の仲間に迷惑をかけないよう、天体観測と撮影の準備を静かに始めます。冷え切ったブーツを履くと、その冷たさに眠気も一瞬で覚めます。

プモリ峰 Pumori(7,161m)から、夏の銀河が昇ってきます。小学生の頃から星空を観測し続けていますが、低湿度、希薄で澄んだ大気、光害ゼロでの観測地、その見上げた夜空に鳥肌が立ちます。目が暗闇に暗順応すると、星明りで雪原が浮かび上がります。この星月夜、地面が凍って滑るためではなく、その興奮からの焦りで慣れているはずの三脚の固定に時間がかかります。

さそり座がヒマラヤ山脈を這っています。今年は土星をお供に連れています。土星の公転周期は30年、土星が再びさそりに寄り添うのは30年後になります。将来、その様子を眺めた時、今晩の星空を思い出すことでしょう。星空を楽しむのに専門知識は必要ではありません。興味関心は人それぞれ、感動まで至らなくても「きれいな夜空」と思うだけで十分です。温かいカップで指先を暖めながらのティータイムとして、地球上で最も宇宙に近いヒマラヤ山脈での星空を眺めながら「宇宙浴」を満喫します。

天体観測者が夜空を眺めると、星空の地図「星図」として、このような世界に広がって見えます。登山者が地図を確認しながら注意深く登るように、天体観測者も星図を頼りに星空を探検します。この場所は標高5,000m、希薄な大気を深呼吸しながらの天体観測、深く息を吐くたびに双眼鏡とメガネのレンズが曇ります。

朝未き、名残惜しく星々が消えてゆきます。代わって姿を現し始める岩壁と氷壁の美しさに、再び鳥肌が立ちます。

天体観測者から登山者への気持ちに、ゆっくりと切り変わってゆきます。

朝食までの時間、シュラフに戻って少しだけでも寝て体を休ませておきたいのですが、その刻々と変化する一期一会の光景でテントに戻れません。

プモリ峰 の頂にも日が差し始めたところで、寝ることを諦めます。グローブを外さず凍傷に気を付けていましたが、やはり一晩中、冷たい機材に触れていたためでしょう、指先が悴んでしまいました。再び温かいカップで指先を暖めながらのティータイムです。